昭和の祭りと「テキ屋」の真実|親分・場所割り・鑑札…知られざる露店の歴史と仕組み
夏祭りや年末年始の風物詩といえば、立ち並ぶ「露店」の活気です。
しかし、昭和の時代の露店には、
今では考えられないような独自のルールと
組織が存在したことをご存知でしょうか?
「テキ屋」と呼ばれた彼らには、免許があったのか?
誰が場所を決めていたのか?
今回は、昭和の露店文化の裏側にあった
「親分」「場所割り」「上納金」の仕組みについて、
歴史的事実に基づき詳しく解説します。
【目次】
テキ屋に「免許」は存在したのか?
「親分」が支配する縄張り(庭場)と場所割りの仕組み
価格統一と上納金(ショバ代)の実態
暴力団との関係と、現代における変化
まとめ:昭和の露店は「独自の自治」で成り立っていた
1. テキ屋に「免許」は存在したのか?
昭和の時代、公的な「露店商免許」
という国家資格のようなものは存在しませんでした。
しかし、実質的に免許の役割を果たしていたものが2つあります。
「鑑札(かんさつ)」: 各地域のテキ屋組織(一家)に所属している証明として、
親分から貸与される木札やプレートです。
これがない者は、その縄張りで商売をすることは許されませんでした。
「保健所の営業許可」: 食品を扱う場合に必要ですが、
これはあくまで衛生基準を満たすためのもので、
出店の権利を保証するものではありませんでした。
2. 「親分」が支配する縄張り(庭場)と場所割りの仕組み
テキ屋には**「庭場(にわば)」
と呼ばれる独自の縄張りがありました。
祭りの開催場所を仕切る親分を「帳元(ちょうもと)」**と呼びます。
場所割りの権限: 親分や幹部が、どの業者がどこに店を出すかを決定します。
特に「角打ち」と呼ばれる四つ角の良い場所は、
キャリアの長い者や貢献度の高い者に割り振られるなど、
厳格な序列がありました。
「三寸(さんずん)」の掟: 露店の台の幅(三尺、約90cm)に由来する言葉ですが
決められた境界線を一寸でも超えることは許されない
厳しいルールがありました。
3. 価格統一と上納金(ショバ代)の実態
自由競争ではなく、**「価格の統一」**が行われていたのも
昭和のテキ屋の特徴です。
価格協定: 同じエリアで価格を揃えることで、
仲間割れを防ぎ、客への信頼を維持していました。
ショバ代と奉納: 露店商は親分に対し、
場所代として「ショバ代」を支払います。
この資金は神社の奉納金や祭りの運営費、組織の維持費に充てられました。
4. 暴力団との関係と、現代における変化
かつてテキ屋は、農業の神様「神農(しんのう)」
を祀る職能集団としてスタートしました。
しかし昭和後期、多くの組織が暴力団と密接な関係を持つようになり、
ショバ代が暴力団の資金源(上納金)となる構造が一般化しました。
【現在の状況】 2011年までに全国で施行された
**「暴力団排除条例」**により、現在はこの仕組みは完全に禁止されています。
警察への誓約書提出の義務化
暴力団関係者の介入排除
近代的な「露店商組合」による運営
5. まとめ:昭和の露店は「独自の自治」で成り立っていた
昭和のテキ屋は、法的な免許こそなかったものの、
親分を中心とした「掟」と「鑑札」による強力な自治組織でした。
今では不透明に見えるその仕組みも、
当時は祭りの秩序を守るための一つの形だったと言えるかもしれません。
次に屋台の焼きそばや綿あめを口にする時は、
そんな激動の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

0 件のコメント:
コメントを投稿