#節分の飴まきで泥棒にあった気持ちになった幼稚園の記憶

 

 



幼稚園の節分で「泥棒」に遭った?

ほろ苦い思い出と、子どもにとっての「分かち合い」

節分といえば、豆まきを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。

鬼のお面をかぶった先生に「鬼は外、福は内!」と

元気いっぱいに豆をまく子どもたちの姿は、見ているだけで心が温かくなりますよね。

しかし、私の心には、幼稚園で体験した節分の、

少しばかりほろ苦い思い出が残っています。

節分に起きた「泥棒事件」

それは、幼稚園の節分での出来事でした。豆まきならぬ、

**「お菓子まき」**が行われることになり、

先生たちがたくさんの飴をまいてくれました。

私を含め、園児たちは大興奮!地面に落ちた飴を一生懸命に拾い集めました。

私も小さな手にたくさんの飴を抱え、ニコニコと顔がほころんでいました。

ところが、事件は最後に起きました。

拾った飴をすべて持ち帰ろうとしたその時、

少しだけ手元が狂ってしまったのです。

次の瞬間、私の手からすべての飴がこぼれ落ち、地面に散らばってしまいました。

それを見た他の園児たちが、あっという間に集まってきます。

「大丈夫?」と声をかけてくれるかと思いきや、

次の瞬間、私からこぼれた飴を次々と拾い集め、あっという間に持ち去ってしまいました。

まるで「泥棒」に遭ったような気持ちでした。

私はただ呆然と立ち尽くし、泣きそうになるのを必死にこらえていました。

頑張って拾った飴が、一瞬にしてなくなってしまったショックは、

幼い私にとってとても大きなものでした。

先生が教えてくれた「分かち合い」

そんな私を見かねた先生が、そっと近づいてきて、ポケットから飴をひとつだけ取り出してくれました。

「ひとつだけだけど、よかったね」

そう言って渡してくれた先生の優しい笑顔は、今でも忘れられません。

もちろん、あの時みんなが拾ったのは、意地悪な「泥棒」行為ではありません。

子どもたちにとっては、目の前に落ちているお菓子を無心で拾い集める、

ただの楽しい遊びだったのでしょう。

でも、幼い私にとって、それは「奪われた」という悲しい記憶として深く刻まれました。

そして同時に、先生がくれたたったひとつの飴が、どれほど嬉しかったか。

その温かい気持ちも、ずっと心に残っています。

この出来事を経験して、子どもにとっての

**「分かち合い」「思いやり」**がいかに大切かを、改めて考えさせられました。

お菓子まきのようなイベントでも、子どもたちが悲しい思いをしないよう、

大人たちが少しだけ配慮してあげること。

そして、困っている子がいたら、手を差し伸べてあげること。

そうした小さな積み重ねが、子どもたちの優しい心を育んでいくのだと感じています。

節分の思い出は、私の「人生で初めての泥棒」に遭った記憶でもあり、

そして、先生の優しさに触れた温かい記憶でもあります。

 

この体験から学んだこと

節分の行事は楽しい思い出のはずが、

私にとっては「集団の中で弱者になる体験」として心に刻まれています。

この出来事から学んだことは:

  • 子どもにとって「公平さ」はとても大切であること

  • 行事は楽しくても、そこに小さな心の傷が残ることもあること

  • 大人(先生)が一言フォローしてくれるだけで、救いになること

みなさんは、節分にどんな思い出がありますか?

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