北海道・根室と
北方領土問題を歴史的に考える
日本の最東端・北海道根室地方は、北方領土に最も近い地域です。
ここでは学校教育の中でも北方領土返還について学ぶ機会があり、
地域社会全体がこの問題と深く関わっています。
では、北方領土問題とは何か、その歴史的背景を振り返ってみましょう。
北方領土とは?
北方領土とは、択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島の4島を指します。
これらは北海道のすぐ近くにあり、歴史的に日本と深い関わりを持ってきました。
江戸時代からの交流
18世紀、ロシア帝国の南下政策により日本とロシアの接触が増えました。
アイヌ民族が暮らすこの地域は交易の場となり、幕府も防衛と支配の強化を進めました。
日露間の条約と変遷
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1855年(安政元年)日露和親条約
択捉島とウルップ島の間を国境と定め、日本は択捉・国後・色丹・歯舞を領有。千島列島の北側はロシア領とされました。
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1875年(明治8年)樺太・千島交換条約
日本は樺太を放棄する代わりに千島列島全島を得ました。ただし北方四島はすでに日本領であったため、
この時点でも日本の領有が確認されていました。
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1945年 第二次世界大戦終結直前
ソ連は対日参戦し、千島列島と南樺太を占領。北方四島も実効支配下に置かれました。
サンフランシスコ講和条約(1951年)と解釈の違い
日本は講和条約で千島列島を放棄しましたが、
北方四島は「千島列島」に含まれないと主張しています。
一方、ロシア(当時ソ連)は「北方四島も千島列島に含まれる」と解釈し、
現在も両国の立場は平行線をたどっています。
根室地方と北方領土教育
根室市は歯舞群島に最も近い町で、返還運動の中心地です。
小中学校の授業では北方領土について学ぶ時間が設けられ、
子どもたちも「返せ北方領土」のスローガンを耳にしながら育ちます。
地域の行事や資料館でも啓発活動が続けられ、世代を超えて関心が受け継がれています。
現在の状況
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日本:北方四島の返還を求める
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ロシア:実効支配を継続し、返還には応じない姿勢
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国際社会:領土問題として未解決と認識
交渉は断続的に行われていますが、解決には至っていません。
ちなみに
北海道 納沙布岬(根室市) と、最も近い 歯舞群島・貝殻島 の距離は、
👉 約3.7km(およそ2海里)です。
これは、日本本土と北方領土との間で最短の距離であり、
天気が良ければ納沙布岬から肉眼で島影がはっきり確認できます。
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